令和3年9月司法試験合格 原島央典さん

1996年3月 東北大学法学部卒業
2017年4月 筑波大学法科大学院未修コース入学
2020年3月 筑波大学法科大学院未修コース修了
2021年9月 司法試験合格

1.法科大学院入学の経緯
 今から15年くらい前(平成18年)、私は旧司法試験の論文試験の最終日、極度の緊張におそわれ、問題文を読み違えてしまいました。その1通(12通のうち)が大減点されていたため、最終的には合格点に1点足らずに不合格となってしまいました。人生をかけた大切な試験で緊張し、致命的なミスをしてしまった自分に対して自己嫌悪に陥りました。
 その年司法試験をやめて、税務という法曹界とは全く別の業界に進んだつもりでした。しかし、税務の仕事は法律と密接な関係にあり、日常的に法律に関わることが増えていきました。それに比例して、司法試験に落ちたことへの後悔の念が、私の中でどんどん大きくなっていきました。不合格発表の夢でうなされる日も少なくありませんでした。
 司法試験をやめてから10年が経ったある日、妻から「下の子が来年小学生になれば子育ても一旦落ちつくから、もう一度自分のやりたいことをやってみたら」と言われたのです。これから子育てが本格的になっていくと考えていた私には想像もしていなかった提案でした。もちろん、仕事をせずに昼間の法科大学院に通うことはできないので夜間の法科大学院を探しました。その時に見つけたのが筑波大学法科大学院でした。
 その年、運よく合格した私は、翌年2017年に筑波大学法科大学院の未修コースに入学することができました。ここから、私にとって失われた10年間を取り返すための挑戦が始まったのです。

2.学校生活
 税務の仕事は、決算月や、年末から5月末にかけてなど「繁忙期」があり、その期間は講義に出席した後、22時過ぎから職場に戻って仕事を再開するという生活でした。
 普段、予習をする余裕は全くなかったので、講義を休まずに出席する、空き時間に復習することで精一杯でした。期末試験のためにまとまった勉強時間をとることもできなかったので、単位を落とさないことが最重要課題でした。ただ、時間に追われる生活も悪いことばかりではありませんでした。私は、3年間で必ず卒業すると決めていたので、いかにやるべきことを絞って結果を出すかという戦略を考えることが重要でした。この戦略が本試験の対策ともリンクすることになったのです。
 法科大学院の講義は、もちろん受験対策そのものではありません。しかし、先生方の講義からは、小手先のテクニックなどではない、司法試験の合格ひいては法曹として必要な考え方を強く意識されたメッセージを感じ取ることができました。私は、講義以外に受験予備校を利用したり独学するということはありませんでした。
 正規の講義以外に勉強したい場合には、ゼミを組んだり、チューター制度を利用することもできたのですが、私の場合、あらかじめ課題を検討して参加する時間がなかったので、ほぼ利用することができませんでした。また、自習室を利用することもできるのですが、これもまた利用することなく卒業してしまったので、残念に思っています。時間がある方は、利用できるものは徹底的に利用してみるといいと思います。

3.直前期
 私の仕事は、毎年12月から3月末まで繁忙期が続くところ、令和2年はコロナ禍で確定申告の期限が3月15日から4月15日に延期されてしまい、受験勉強を始めることができたのは4月半ば過ぎでした。法科大学院卒業後、この時点での完成度はまだ30%程度でした。ところが、試験日が5月から8月に延期されたのです。この3ヶ月の延長が、私が翌年合格できた最大の理由だと思っています。奇跡的に与えられた時間を、合格のためにいかに使うかを考えました。前述したように「いかにやるべきことを絞って結果を出すかという戦略」を立ててきた3年間の経験がここで活きました。この内容は、合格者報告会でお話させて頂いたので割愛します。
 令和2年8月の1回目の受験は不合格となってしまいました。しかし、令和3年1月に発表された自分の成績を見た時に、ほぼ想定通りの結果だったことから、2回目の受験で合格できると確信を持てました。ただ令和3年も4月中旬まで仕事に追われて勉強することができませんでした。しかし、前年の試験が延期されたために1回目と2回目の受験の間隔が例年よりも狭くなり、まるで1年に2回も本試験を受験できたような感覚でした。また、1回目の本試験が、試験委員に採点してもらえる模擬試験として使えたことも合格できた要因となりました。

4.司法試験当日
 1回目の受験は予想以上にタフでした。8月で真夏ということもあり、室内と室外の温度差で激しく体力を消耗しました。その上、マスク着用での受験でしたのでただでさえ息が苦しいのに、論文を書くスピードの遅い私は、無意識に息を止めて一気に書く癖があるため、ずっと酸欠状態でした。
 また、試験まで数日間、テンションが上がってしまい、夜なかなか寝付けずに寝不足になりました。試験当日も、試験中のテンションが夜中も続いてしまい、やはり寝付けませんでした。そして、寝られないことで、寝坊したらどうしようという不安にかられ、余計に眠りが浅くなってしまうという悪循環に陥りました。試験は中1日休みを挟んで5日間続くのですが、寝不足とハイテンションの狭間で、意識が朦朧としたまま受け続けることになりました。高齢の私にとっては、試験そのものよりも、試験環境の方がつらかったかもしれません。1回目の試験が終わった時は、もう二度と受けたくないと思いましたが、結局もう1度受験することになってしまいました。
 2回目の受験は、1回目の経験があるので大丈夫かなと思ったのですが、やはり試験直前に寝不足となり、試験期間中は寝不足とハイテンションで朦朧としたまま受験するという、1回目と全く同じ5日間を過ごしてしまいました。

5.最後に
 合格発表の日、ホームページで自分の番号を目にした時、涙が止まりませんでした。合格出来て嬉しいという気持ちというよりは、ようやく10年間許せなかった自分のことを許してもいいのだ、と思えた解放感によるものだったと思います。
 もちろん、今は合格できた喜びと、法曹界の一員を担っていけることへの期待感でいっぱいです。今私が手にすることができた合格は決して私一人によるものでなく、周囲の協力なくしては得られなかったものでした。特に3年間ご指導いただいた筑波大学法科大学院の先生方には心から感謝しております。この場をお借りしてお礼申し上げます。
 これから司法試験を受ける皆様へ。
 私が合格した2回目の受験時、くしくも15年前と同じ刑法で大失敗してしまいました(1回目の受験時はAだったので決して苦手ではないのですが・・・)。しかし、15年前には存在しなかった租税法のおかげで刑法の大失敗が帳消しになったのです。司法試験を諦めた後に選んだ仕事が税務だったわけですが、その税務のおかげで、かつては不合格となった司法試験に、今回合格することができたのです。
 私と同じように司法試験に再チャレンジする社会人の人達には、自分が日々頑張っていることは決して無駄ではない、という応援メッセージを送りたいと思います。