保高 睦美さん

  • 2011年入学7期生
  • 2015年司法試験合格

多士済々の学生


筑波大学法科大学院の特徴は、何と言っても社会人向けであるという点です。

授業は、平日の夜と土曜日で、学生は、国家公務員、地方公務員、会社の社長、社員、医師、主婦と職種は多種多様、多士済々です。年齢も、20歳代から50歳以上とバラバラ。共通しているのは、法律家を目指しているという一点だけです。
私の場合はそれまでボランティア的にしていたNPOの手伝いもやめ、入学当初から仕事はせず、勉強に専念しました。本校の合格者の多くは仕事と勉強を両立させ、司法試験に合格していますが、自分の能力では、二足のわらじを履くことは不可能だと感じたからです。
筑波大学法科大学院は、図書館は夜11時まで利用でき、自習室も24時間開いています。在学中の3年間、修了後の1年間は、ほぼ自習室にこもって勉強しました。

同級生の頑張りが刺激に


勉強、特に受験勉強は個人プレーの側面が強いと思います。
そんな中でも、海外出張をこなしながら授業に出ている人、仕事が終わってから毎日図書館に来て、問題を解いている人の姿を目の当たりにすると、少なくとも時間にだけは恵まれている自分はもっと頑張らねば、という刺激を受けました。

また、仲間同士で自主ゼミを組み、それぞれ書いた答案を交換して検討すると、私より勉強時間の少ないはずの人の答案のわかりやすさ、その能力の高さに舌を巻くと同時に、何とか追いつこうと奮起するきっかけにもなりました。
社会的状況は異なっても、司法試験合格という目標は同じです。皆、親切で、ちょっとした異業種交流会より、つながりは深く、私は今でも、助けられてばかりです。

先生方も、夜9時の授業終了後遅くまで、本当に初歩的な質問にも根気よく答えてくださり、勉強方法や答案の書き方についてのアドバイスをいただくことができました。
司法試験の勉強は長い時間を要します。昨日はわからなかったことが今日はわかるようになっている、多くの人々の助けを得て、自分が少しでも成長していると感じられることで長い受験勉強を乗り切ることができたと思います。

出発は条文


とはいえ、一本調子で勉強の成果があがっていたわけではありません。

司法試験の勉強は、論点の理解が中心です。論点というのは、条文の適用だけでは解決できない問題点のことで、試験の問題にもなりやすいところです。
勉強が少し進んでくると、論点に飛びつき、答案が条文を離れた“空中戦”になったり、知っている論点に引き付けがちになります。

3年生になると、試験問題を解いて講評を聞くというスタイルの授業が増えますが、私は、よくわからない問題にすっかり舞い上がってしまい、既知の論点に強引に結び付けて答案を書き、なんと20点満点中4点、クラス最低点をとってしまったことがあります。まずは、丁寧に条文にあてはめるべきでした。出発点は「条文」であるとよくわかりました。

論点は、覚えるというよりも、考え方を理解することが重要だと思います。個人対個人の問題では当事者の意思の尊重や公平、個人対国家権力の問題では人権制約の必要性と相当性などです。考え方が身に着くと、未知の問題への対処も可能になると思います。ただ、覚えなければ、考え方の理解も進まないとはいえますが…。

司法試験の力


司法試験合格後、司法試験の力を感じさせることがありました。
私の父は、転んで頭を打って、失語症になってしまいました。右半身がマヒし、話すこともやっと、字を書くこともほとんど出来ない状態です。私の受験も忘れていると思っていました。

ところが、母が「睦美が合格したよ」と伝えると、「すごいな」と涙を浮かべて、近くにあった紙切れに手紙を書くと言い出したのです。利き手ではない左手で一生懸命書きました =写真=。

hotaka
父の頭の中では、司法試験合格=困っている人を助ける素晴らしい仕事ができる、という図式が出来上がっていたのでしょう。

実際、どんなに能力があっても国家資格がなければ法曹三者の仕事をすることはできません。法律を武器にして戦う資格を得るということは大きなことだと思います。

社会人経験を活かして


法科大学院を修了しても、必ず司法試験に合格できるとは限らないし、合格しても、このご時勢、法曹の職に就ける保証もありません。
しかし、社会経験の豊富な人が法曹の世界にもっと進出することで、社会のニーズにあった新たな問題提起、解決法の幅が広がるのではないかと思います。
父が思い描いているような素晴らしい仕事にもつながるのでしょう。

私もその一員として、少しでも良い仕事ができるよう学ぶべきことが沢山あります。筑波大学法科大学院で学んだ経験は大きな力になってくれるものと思っています。